2012年1月22日日曜日

引き潮のとき

全5巻、執筆期間十二年にわたる大作。



短編からはじまり消滅の光臨で長編になった司政官シリーズの末尾を飾る集大成的な作品。司政官シリーズは人類が宇宙に進出し数多くの惑星を植民星としている中で、植民星の司政を一手に担う司政官視点で全編描かれる徹底した一人称視点の物語なのだけれども、全作通して、それも後期に出版された作品になればなるほど時代とともにあらわになっていく司政機構の抱える自己矛盾と失われていく司政庁の権威を認識しつつも惑星司政という難事に全力で取り組む青年司政官の内面の葛藤がこれでもかと描かれているので非常に読み応えがある。

とは言うものの、初期の司政官シリーズの短編はあっさりとしたものが多く、司政にまつわる難事にいどむ苦悩というほどのものはなく、さらりとこんな惑星があって、原住民がこんなで、植民者とこんなトラブルがあったら司政官はこんな風に対処するんじゃないかな、こんな風に感じるんじゃないかなというタッチで描かれている。

しかし、消滅の光臨ではあっさりとした話から一転、過去に有した絶対的な権威をほぼ喪失した司政庁が惑星の消滅という未曾有の難事に対して諸処の勢力と苦闘しつつも司政を行っていくという設定の中で、さらりとしか描かれてこなかった司政官の内面がこれでもかと描写されるので物語の中にどっぷりと浸かることになる。

その流れを受けて、さらなる長編となった引き潮のときは、前作同様、いやそれ以上に物語の進行にあわせて執拗に司政官の葛藤が描かれているので消滅の光臨を気に入った人ならば一読をお勧めする。ただ、全編を通して諸々の出来事が並行的に起こるので、それを読者が理解しやすくするためなのか、全体を通して何度も同じ説明が繰り返されることが多々あり、読んでいるときはかなり冗長な感じを受けたのもまた事実だった。これも十二年におよぶ連載だったので、掲載のたびに過去の経緯を読者に説明するためにああいう風に何度も繰り返したのかなぁと考えていたのだが、引き潮のとき第5巻の筆者あとがきに「今まで行間を読ますようなあっさりとした作風ばっかりで書いてきたので、消滅の光臨からはこれでもかと説明するような作風に変更した」とあったので、あぁやっぱりそういう意図があったのね、と合点した。

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